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「縄文時代について」~竹末の読書メモ③

■第3回目の竹末ブログです。

今回は趣向を変えて、縄文時代について考えたいと思います。
ちょうど、先日(10/2、10/9)の夕方にTBS系テレビで、CANON提供の特集『日本の新しい世界遺産!縄文遺跡群』が放映されましたので、ご覧になった方もおられるのではないでしょうか?
2021年7月に「北海道・北東北の縄文遺跡群」全17箇所が世界遺産に登録されたのをきっかけに、にわかに縄文ブームが訪れたようです。

もともと小生の学生時代には残念ながら「歴史」という科目が大の苦手でした。なぜならば、試験のために年号や事件、人名などを「覚える」だけの学問であり、理系志望だった小生にとっては、試験の結果が「欠点」を採るだけの苦痛科目に過ぎなかったことの思い出しかありません。したがって、たまたま大学の受験科目にあった「日本史」を仕方なく選択した程度です。

しかし、歳を経るごとに興味が湧いてくるもので、日本の歴史についてだけは、書籍だけでなく、テレビ番組の歴史物などを積極的に録画してストックするようになりました。最近は「書」を習い始めた関係で、中国の古代史には興味を持つようになり、三国志も全巻読むようになりました。

先日、たまたま図書館で「縄文時代」について、数冊の書籍に出会い、手に取って読んでみました。意外に発行されている書籍も少なく、内容的にはまだまだ解明されていないところが多くあるということが分かりました。

まず、小生が小学校時代に「社会科」で習ったときは、「原始時代」(当時はこう表現されていたはずです)が、教科書にはわずか1〜2頁くらいしか掲載されておらず、授業の最初に、サラリと済まされた様な気がしています。そのころは、第二次世界大戦直後の1947年に静岡の登呂遺跡が発見されて、1952年に特別遺跡に指定された直後で、弥生式土器の時代がクローズアップされたことについてだけが、かすかな記憶として残っています(試験問題に出たからかもしれませんが…)。ただ、縄文式土器の時代については、「弥生式土器と表面の装飾が異なり、複雑な文様が施された土器が印象的である」という程度で、はるか昔の話として、ほとんど関心もありませんでした。

最近はこの「〜式土器」という表現がはずされて、「縄文文化」「弥生文化」と表現するそうです。
また、世界史的には、旧石器時代と新石器時代の分類の中で、縄文・弥生は新石器時代に含んだ形で表現されています。

日本の弥生時代(BC.2000年代頃)には、お隣の中国では、もう「殷王朝」という国家ができており、文字を使っての記録が残されています。一方、日本には、土器や石・貝殻・骨程度しか発掘されずに、現代の学者が想像で推測するしかなかったようです。したがって、大森貝塚も、明治時代の前半の「お雇い外国人」のエドワード・シルベスター・モースという考古学者による偶然の発見から始まったと記録されています。
そのころは「カニバリズム(人喰い生活)」という説、そしてアイヌ系で、「その後は北へ追いやられた」という説が有力だったようです。

その後、東大や京大の日本人研究者が懐疑的に発掘調査を始め、1925年ころには「石器時代人=アイヌ」説を徹底的に否定し、1981年の段階では「石器時代の人々は洞窟(横穴)に住み、貝塚をつくり、土器・石器・骨角器などを用いて、狩猟・漁労を行っていた」と記述するようになりました。

前置きが長くなりましたが、自分自身でも、その時間的スケール感を理解するために、図1に示すように縄文時代から弥生と現代までを棒グラフで描いてみました。

【図1参照】

なんと、縄文時代は、古墳時代から現代までの1700年間に対して、その8倍以上の1万3000年くらいの長きにわたる時代だったのです。一応、草創期から晩期まで6区分していますが、いまだに、その1/4の中期以降のことしか分かっておらず、ほとんどが推測によるものです。ちなみに、2021年に世界遺産登録となった「北海道・北東北縄文遺跡群」は、縄文時代中期の今から5000年前にあたります。
さらに意外だったのは、弥生時代が縄文時代の1/16程度の800年くらいの短さだったこともわかりました。

さて、全文を配信すると、かなりの長文になりそうですので、今回のブログでは、全体像を俯瞰するだけに留めて、以降については後日、大きく三つに分けてまとめていきたいと考えています。
まず次回以降は、「そもそも『縄文人』はどのように発生してきたのか?」ということについて考えていきます。
古墳時代や奈良、平安などはほとんど関西以西であるにも拘わらず、なぜ関東以北に縄文遺跡が多いのかという疑問が湧いてきました。
どうやら、気候変動とユーラシア大陸からの人流が関係しているようなのです。

そして、その後は「どのような生活をしていたか?」ということについて考えます。言語についての記述はほとんどみられず、どのように会話をし、コミュニケーションを図っていたのかについては不明のままなのです。発掘調査で現存している物からしか想像ができないため、最近の「高度C<14>年代測定法」という炭素の性質(遷移)を調べることによって年代を特定できるようになったそうですが、残念ながら文化、特に文字やコミュニケーション方法などは証拠物件としては残っていないために、ほとんどの学者がそのことに触れていないのです。1万3000年以上の間にどんなコミュニケーションをとっていたのかを、食べ物や住まい方、ものづくり、そして墓制、・祭祀・装身具などの発達や精神文化の面にまで少し踏み込んで考えてみたいと思っています。

その後も続けられそうであれば、「現代の我々との比較で、縄文人は意外に幸せだったのかもしれない」ということにも関心を寄せてみたいと思っています。現在の日本国土は狭いとはいえ、縄文時代には、人口密度も高くなく、また、争いもなく、意外にもサステイナブルな生活を楽しんでいたのかもしれないのです。というのは、「縄文人は生まれてもかなりの子供は数歳で亡くなり、成人になってもせいぜい40歳〜50歳で亡くなってしまうという、現在と比較してもずいぶん短命であることが常識だったことから想像すると、意外に現在のような争いごとをやっている時間もないうちに寿命が終わる」、という「自然の循環サイクルに身を任せる」人生を送っていたのではないでしょうか。お金をあくせく蓄えたり、だまし取ったり、領土を取った・取られたと争ったり、イデオロギーが異なると言って戦争を始めてしまったり、する時間もなかったのかも知れませんね。

そして、最後にモノづくりやデザインについて考えられれば、そちら方面にも踏み込んでみたいとは思っています。

まず、参考にした書籍の6冊と、研究紀要を一本紹介しておきましょう。
➀「つくられた縄文時代」山田康弘著(新潮選書、2015/11発行)
➁「縄文時代の歴史」山田康弘著(講談社現代新書、2019/01発行)
➂「『日本』とは何か」網野義彦著(講談社学術文庫、2008/11発行)
➃「縄文文化と日本人」佐々木高明著(講談社学術文庫、2001/07発行)
➄縄文の生活誌」岡村道雄著(講談社学術文庫、2008/11発行)
➅「土偶を読む」竹倉史人(武蔵野美大映像学科中退後、東大の宗教学や東工大院の社会理工学を学んだ人類学者)、(晶文社、2021/04発行)
➆「縄文時代における空間認識とモノづくり」石井匠著(國學院大學伝統文化リサーチセンター研究紀要 第2号(2010/03発行)

➀と➁の著者山田康弘氏は、1967年生まれの、筑波大学の人類学出身の方で、現在は国立歴史民俗博物館教授をされておられます。
➂の網野義彦氏は、1928生まれで、2004没となっており、東京大学文学部卒、日本中世史、マルクス思想研究者です。「日本国」の起源について論じておられます。特に、日本の初代天皇である神武天皇から天智天皇までは「日本」の形がまだ固まっていないので、「天皇」と呼べない、という説を唱えておられます。
➃はご本人の説というよりも、国学院大学の考古学者小林達雄名誉教授の説を引用して簡潔に説明されている著書です。特に食べものの文化の観点から「縄文カレンダー」を描かれているところが参考になります。
➄はものづくりの視点から縄文時代を語られています。
➅と➆は考古学・歴史学とはまったく異なる視点から、それぞれ芸術家視点から土偶や土器のデザインを分析されています。

以上、ここまでで、ご意見やご要望があれば、下記メールアドレスに送信ください。
takesue@fabdesign.or.jp
以上

(筆者・竹末俊昭…一般社団法人ファブデザインアソシエーション(FDA)理事長・元拓殖大学工学部デザイン学科教授)

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